SoberCurious.japan立ち上げにあたり(ソーバーキュリアス)

私はお酒をやめた。

やめてからちょうど1年ほど経った。まわりの同僚や友人達にようやく『お酒を飲まない人』として認めてもらえた。やっとだ。やめた当初は「どこか悪いの?」「あんなに酒が好きだったのに冗談だろ?まぁ、一杯だけ飲もうよ」などと言われるたびに、曖昧な笑顔を浮かべながら断ることが、面倒でたまらなかった。

いざ、お酒をやめてみると、日本はアルコールであふれていることに気づいた。TVをつければ、ビールや酎ハイのCMだらけだし、街を歩けば居酒屋のネオンサインが通りを照らしている。

成人になればお酒を飲むことを、みんな、なんの疑問もなく受け入れている。私もそうだったし、深い文化的な背景や、宗教的背景があることは間違いない。だけど、『飲まない』という選択肢はどうしてないのだろう?『飲めない』ではなく、『飲まない』だ。

タバコはどうだろう?健康志向の世の中で、目の敵にされて、今や1箱500円!もする。私が子供の頃、お使いで買う父親のチェリーは200円だった。30年前にタバコがこんなに忌み嫌われる存在になると、明確に想像できていた人はいるだろうか?なんせ、飛行機の中でタバコが吸えた時代だ。今、そんなことをしたら、人格を否定されるだけでなく、法で裁かれてしまう。

今(2019年)、アメリカやヨーロッパの一部の若者達が『飲まない』選択肢を選んでいる。そして、それを誇りに思い、人生を謳歌している。いつだって、正しいのは若者の直感だ。ロックが生まれたのも、ヒップホップが生まれたのも、一部の若者達からだ。広告代理店の大人達が会議室で考えて、作られたムーブメントとは質が違う。かつて若者だった大人達も感覚でわかるはずだ。あの嫌っていた大人達が考えることとの違いが。

『飲まない』若者達のバイブルがある。その本は『Sober Curious』。意訳すると、「しらふに興味津々」という感じ。作者のRuby Warringtonは、かつての私のように浴びるほどお酒を飲んでいた。しかし、ある日気付いた。「お酒を飲まないとどうなるのだろう」と。二日酔いで頭がガンガンする最悪の目覚めや、記憶がない帰り道や、記憶と共に消えてしまったバッグに後悔することはなくなるはずだ。「なぜ、今お酒を飲むのか、その衝動や期待に対して常に疑問を持ち、その答えから自分は飲むのか飲まないのかを決めること」と彼女は言う。友人の結婚式ではシャンパンで乾杯して盛大にお祝いする意味がある。でも、夕食の席や、友人との食事の際にお酒を飲むことに対して、意味を考える。結果として彼女は健康的な身体とアルコール摂取量を抑えることに成功した。

みんな飲むなと言いたいわけではないし、お酒を飲む楽しみも十分わかっている。ただ、『飲まない』という選択肢を選ぶことに、お酒なしの人生を謳歌することに対して、ちょっと寛容になって欲しいだけだ。ロックは不良になるからと、変化を嫌い寛容になれない大人達に隠れて聴いたらしい。それに比べて、私たちはただ『飲まない』だけだ。誰に害を与えるわけではないし、極めて健康的だ。変わり者を見る目や、過剰な興味による質問責めにはこりごりだ。これから、同じ道を歩む人たちに対しては、もうちょっと気楽な道を歩んで欲しい。みんながちょっとだけ寛容になってくれるように。
だから、立ち上げます。「SoberCurious.japan」
いつだって未来は明るいから。 

SoberCurious.japan 代表 野村啓一

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